グノーシス主義の教義2

11

「愛を、いつも追い求めなさい。愛を作り出す、そういう人に、いつも憧れなさい。愛を作るものは失うことがなく、欠乏することがない。生ける神はどこからでるのだろうか。それはあなたがたの、内からでるのであり、外から受け取るより、内からでるようにすべきである。そのとき、あなたがたは、渇かない術を知るのである。愛に生きれば、その人は安らかに眠るだろう。み国に行くときも、同様であろう」。

12

「愛されるものより、愛するものになりなさい。あなたがたは、愛することにより、信仰と義に生きるようになるだろう。それは価値がないものが価値をみいだすのに似ている。死んだものが生きるようになり、新しく生きるものをみいだすようになる。一人の人を愛すときに、あなたは永遠の命を得、また、永遠に生きる道を、得ることになるだろう」。

13

「本当の悪を懲らしめる方は、子どもが眠っている間にでかけていく親のようなものである。夜になり、その親は、子どもを寝かしつけて、武器を持って家をでていく。悪人達を全て縛り付けた後、投獄して、世を平和にし、何事もなかったように、子ども達の家へ帰ってくるのである。よく聞いておきなさい。あなたがたが、この世の本当の平和をみる日がくる以前に、そのことはすでに、起こっている。あなたがたは何も気づかず、悟らずに、平和を迎えるだろう。そして本当の悪は、全て、根絶されてしまうだろう」。

14

「みえないものをみようとするな。聞えないものを聞こうとするな。体で感じてはいけない。心で感じ素直になれ。主のみ心は体でみえる世界ではなく、体で聞こえる世界ではない。自分でどうすることもできない、心身に危機を感じたら、あなたがたは、どうするだろうか。神によりすがって、頼もうとしないか。そうして、素直にものをみなさい。あなたがたにはみえる目と聞こえる耳があるのだから」。

15

「ある人が、神に助けを求めてやまないとき、実は、神のほうが助けてあげたい、そういうことがある。なぜなら、神と人は常に、繋がっているからである。改心を求めるとき、人は、悩み苦しむものである。愛されないときも、人は、苦しむのであって、やはり心に変化がある。神に、呼ばれているとき、あなたがたは、責められてはいない。本当の苦しみとは、遠くにあるのである」。

16

「改心を求めてやまないとき、神は、本当に立ち返ることを望んでいるのではない。あなたは、真の姿に還るのだ。犠牲的行為をさせるときに、人は、彼らに立ち返っている。犠牲の牛が欲しいのは彼らであって、私ではないのである。犠牲的行為をさせる人達は、自分がどこへ向かっているか分からない。彼らの国は彼らの裁きをするだろう。そしてそれに乗せられる者達は、どこにいくのだろう」。

17

「三位について、少し、話しておこう。我々は根本的に同じものである。しかし別々である。人間でも、別々に生まれたものが、一緒に暮らすうちに、全く同じ行動をとることがある。行動を共にするうちに、似てくるのである。これと似たことで、我々は生まれたときから同じであり、違う行動をとることができる。つまり息が合っているのである。悪霊はこの逆である」。

18

「ある、三人の娘がいたとする。一番上の娘は美しく気丈で、引き取り手があまたで、一番気に入った金持ちと結婚をした。中くらいの娘は普通で、慕ってくれた普通のものと、幸せな暮らしをした。一番下の娘は弱々しくいつも汚れていて、自分を下に敷く男と不幸せな結婚をした。単独者となるのは、この一番下の娘であり、常に神から迎え入れられているのである」。

19

「あなたがた人間は、偶然生まれてきた、産物だろうか。それは進化論だろうか。特に、あなたがたのような、小さきものは、生きていくことに対し、うずくまったりしてはならない。非難があっても生きることから逃げるな。あなたがたは、絶対に生きていて、良いのである。同じ生き物達をたくさん殺していながら、動きもしない、あの大きな者達は何だろう。生きるべき小さきもの達よ。それだから小さなことで悩んだりするのはよしておきなさい。それなら、いっそきたるべき、この世の、到達点をみつけなさい」。

20

「知らないものを知るものは幸いである。あなたがたは知るべきであって、悟りの点に到達すべきである。たとえば、知るべきものを知らないものは、どこへいくのだろう。それを考えればこのことが、分かるはずである。あなたがたが、このたとえを理解するとき、あなたがたは、そこへ到達している。すなわち、子を愛するものは、天を理解するのであり、本当の犠牲を知るのである。“ひとりの迷い子が、大きい群れの中からでたとする。迷い子は打たれ悲しみ、理解されない。しかし激しい絶望の中にいるときこそが、彼の本懐であり本当の脱出口である。地上のパラダイスで、飼われているときには、それはみつからない。そこは絶望の場所であって、牛を飼うところである。彼は、到達点をみつけて、遂に、脱出した。そして彼はもう打たれる悲しみに戻ることはなかった”」。